公共交通維持への挑戦

住民運営によるデマンド交通が地域にもたらす効果:サービス維持と社会関係資本形成の事例分析

Tags: 住民参加, デマンド交通, 地域コミュニティ, 社会関係資本, 過疎地域

はじめに:過疎地域における公共交通維持の課題と新たなアプローチ

地方の過疎地域において、人口減少と高齢化は公共交通の維持にとって深刻な課題となっています。利用者の減少は路線バスの採算性を悪化させ、運行頻度の縮小や路線の廃止につながり、地域住民の移動手段がさらに制限されるという負のスパイラルを生み出しています。特に高齢者にとって、通院や買い物、社会活動への参加といった日常生活に必要な移動手段の確保は、生活の質や健康維持に直結する喫緊の課題です。

こうした状況に対し、従来の固定ルート・定時運行型のバスサービスに代わる柔軟な交通手段として、デマンド交通が注目されています。しかし、デマンド交通も運行コスト、特に人件費や車両維持費の負担が大きく、自治体や交通事業者単独での持続的な運営が困難なケースも少なくありません。

本稿では、この課題に対し、地域住民が主体的に運営の一部または全部を担う「住民運営型デマンド交通」という新しいアプローチに焦点を当てます。これは単なるサービス提供モデルに留まらず、住民自身がサービスの担い手となることで、運行コストの削減、地域ニーズへの柔軟な対応に加え、地域社会の結びつきを強化し、新たな社会関係資本を構築する可能性を秘めています。本稿では、特定の事例分析を通じて、住民運営型デマンド交通がサービス維持と地域社会に与える多角的な効果について考察します。

事例分析:A町における住民運営デマンド交通「やまびこ号」の挑戦

本稿では、典型的な過疎高齢化が進む地方自治体であるA町(仮称)における、住民運営デマンド交通「やまびこ号」(仮称)の取り組みを事例として取り上げます。A町では、少子高齢化と若年層の都市部流出により公共交通利用者が激減し、主要なバス路線は廃止され、限られた地域住民向けバスが運行されている状況でした。特に、中心部から離れた集落では、高齢者の通院・買い物といった日常的な移動が困難となり、孤立が深まる懸念が生じていました。

背景と課題

「やまびこ号」導入以前、A町では既存の公共交通空白地域に対し、自治体主導のデマンド交通実証実験が行われた時期がありました。しかし、運行委託費用の負担が重く、継続的な運行には至りませんでした。また、住民からは予約手続きの煩雑さや、利用したい時間帯に予約が取れないといった不満も聞かれました。

この課題に対し、町役場と一部の地域住民有志が協議を重ね、「サービスを利用する住民が、同時にサービスの担い手となる仕組み」を模索し始めたことが、「やまびこ号」導入の端緒となりました。

取り組み内容と運営体制

「やまびこ号」は、20XX年にNPO法人A町地域交通ネットワーク(仮称)が事業主体となり、町からの運行補助金と利用者からの運賃収入、そして住民からの寄付やボランティアによって運営が開始されました。最大の特徴は、運行管理、予約受付、さらには一部の運転業務を、地域の高齢者を中心とした住民ボランティアが担っている点です。

運営体制は以下の通りです。

特に、予約受付や運行管理を住民ボランティアが行うことで、人件費を抑制しつつ、地域の実情に合わせた柔軟な対応を可能としています。また、住民ドライバーの存在は、プロドライバーだけでは賄いきれない運行需要への対応や、顔見知りのドライバーによる安心感の提供に貢献しています。

結果と効果測定

「やまびこ号」の導入から3年が経過し、以下のような効果が見られています。

分析と考察

A町における「やまびこ号」の事例は、住民運営型デマンド交通が地方公共交通の維持において、単にコスト削減だけでなく、地域社会に多角的な好影響をもたらす可能性を示唆しています。

サービス維持の観点: 住民ボランティアによる運営参画は、外部委託に比べて大幅なコスト削減を実現し、事業の財政的持続可能性を高めています。また、地域の住民が運営に関わることで、地域ニーズの変化に柔軟に対応しやすくなり、サービスの質を向上させることが可能です。しかし、ボランティアの高齢化による担い手不足、専門知識・スキル(運行管理、経理など)の習得、責任体制の明確化といった運営上の課題も存在します。A町では、定期的な研修会の実施や、複数のボランティアによる複数担当制、町役場職員による運営サポートといった対策を講じることで、これらの課題に対応しようとしています。

社会関係資本形成の観点: この事例における最も重要な示唆の一つは、公共交通サービスを住民が「利用する」だけでなく「創り、支える」プロセスを通じて、地域内の社会関係資本が強化されていることです。住民ボランティアと利用者間の日々の関わりは、単なるサービスの提供者と受益者という関係を超え、互いを気遣い、情報を共有する新たなネットワークを構築しています。運行車両が地域住民にとっての「動くサロン」のような機能を持つことも、地域内の緩やかな結びつきを促進します。このような地域住民間の信頼関係や互助の精神といった社会関係資本の強化は、自然発生的な地域課題解決能力を高め、公共交通サービス自体の維持だけでなく、地域全体の活性化やレジリエンス向上にも寄与すると考えられます。A町では、この社会関係資本の強化が、他の地域活動(例えば、見守り活動や地域イベント)への住民の参加意欲向上にも繋がっているという分析もあります。

他の地域への応用可能性: A町の事例は、過疎高齢化が進む他の多くの地方地域にとって参考となるモデルを提供します。成功要因としては、①町役場の積極的な支援とNPO法人という明確な事業主体の設立、②運行の一部を担う住民ボランティア制度の導入、③地域ニーズを反映した柔軟な運行体制、④公共交通を単なる移動手段でなく地域交流の場と捉える視点、などが挙げられます。ただし、住民ボランティアの確保・維持、活動へのインセンティブ設計、専門性の担保といった課題は、各地域の社会構造や住民構成に応じて慎重に検討する必要があります。他の地域が導入を検討する際には、地域の特性を踏まえた上で、住民の参加意欲を高める仕組みづくりや、運営体制の持続可能性を確保するための工夫が不可欠です。

結論と今後の展望

A町における住民運営デマンド交通「やまびこ号」の事例は、地方における公共交通維持の新たな可能性を示すものです。単にコスト削減によってサービスの空白を埋めるだけでなく、住民自身がサービスの担い手となることで、地域に根ざした柔軟なサービス提供を可能とし、さらには地域住民間の交流を促進し、社会関係資本を強化するという、公共交通の多面的な価値を再認識させる取り組みと言えます。

この取り組みは、地域の移動課題解決と同時に、地域社会の活性化に寄与するという点で、学術的な研究対象としても非常に重要です。今後の研究においては、住民運営が社会関係資本に与える影響をより定量的に分析する手法の開発や、住民運営における持続可能な担い手確保のための具体的な方策に関する研究が求められます。また、異なる地域特性(過疎の度合い、住民構成、地理的条件など)における住民運営モデルの適用可能性と、その際のカスタマイズに関する比較研究も有益でしょう。

地方における公共交通の未来は、単なる移動インフラの維持という視点だけでなく、それが地域社会にどのような影響を与え、どのように住民の生活や地域全体の持続可能性に貢献できるかという、より広範な視点から議論されるべきです。住民運営型デマンド交通は、その議論において重要な示唆を提供する取り組みの一つであり、今後の地方創生や地域社会学の研究において、さらなる注目が集まることが期待されます。