公共交通の「自分ごと化」を促す地域教育・啓発活動:特定事例の効果と課題分析
地方における公共交通の持続可能性確保は、多くの自治体にとって喫緊の課題です。利用者の減少、維持コストの増大といった問題に対し、運賃や運行形態の見直し、財政支援の強化など様々な対策が講じられていますが、根本的な課題の一つに地域住民の公共交通に対する意識が挙げられます。自家用車中心の生活様式が定着する中で、公共交通を「行政や事業者が提供するもの」「自分とは直接関係ないもの」として捉え、その存続が地域社会にとって重要であるという認識、すなわち「自分ごと化」が進んでいない状況が見られます。
本稿では、このような課題に対し、地域住民、特に次世代を担う若年層を含む多様な層の公共交通に対する意識変容を促し、「自分ごと化」を図ることを目的として実施された、特定地域の教育・啓発活動事例を取り上げ、その効果と課題について分析します。
事例概要:〇〇町における地域一体型公共交通啓発プログラム
本事例として取り上げるのは、人口約1万5千人の地方町である〇〇町(仮称)で20XX年度から継続的に実施されている「地域公共交通ふれあいプログラム」です。〇〇町では、路線バスの利用者減少とそれに伴う路線の維持困難化が進んでおり、将来的な公共交通ネットワークの維持が危惧されていました。この状況に対し、町は単なる運行支援に留まらず、住民一人ひとりの公共交通への関心を高め、利用促進に繋げるための長期的な視点での取り組みが必要であると判断しました。
プログラムは、町の公共交通担当課が中心となり、地元のNPO法人、小学校、中学校、地域企業、バス事業者と連携して展開されています。主な活動内容は以下の通りです。
- 学校における公共交通教室の実施: 町内の小学校高学年および中学校の生徒を対象に、公共交通の役割(環境負荷低減、高齢者・学生の移動手段確保、まちづくりとの連携など)、歴史、利用方法、安全な乗り方などについて学ぶ出前授業を実施しています。単なる知識伝達に留まらず、バス運転手との交流や、実際に路線バスに乗車する体験学習(社会科見学や総合学習の一部として)も組み込まれています。
- 住民向けワークショップ「私たちのまちの交通を考えよう」: 町民を対象に、公共交通の現状や課題、将来像について議論するワークショップを複数回開催しています。参加者はグループに分かれ、自身の交通利用状況、公共交通への期待、改善提案などを自由に出し合います。バス事業者の担当者も参加し、運行側の視点や制約についても共有することで、住民が単なる要望に留まらない、より現実的な視点を持つことを促しています。
- 情報発信の強化: 町の広報誌やウェブサイトに加え、特設SNSアカウントを開設し、公共交通に関する様々な情報を発信しています。運行情報だけでなく、公共交通を利用したまちの魅力再発見企画、利用者インタビュー、環境への優しさを示すデータ(例: バス1台あたりのCO2排出量は自家用車の約1/Xなど)などを分かりやすく提供しています。
- 地域イベント・企業連携: 年に一度「公共交通ふれあいデー」として、バス車両展示、運転席体験、バス乗り方教室といったイベントを開催しています。また、町内の商業施設や飲食店と連携し、公共交通利用者を対象とした割引や特典を提供するキャンペーンを定期的に実施しています。
これらの活動は、各主体がそれぞれの強み(行政の調整力、NPOの地域ネットワーク、学校の教育機能、企業の広報力、事業者の専門知識、住民の生活実感)を活かして連携することで実現しています。
効果測定:定量・定性分析からの評価
このプログラムの実施による効果を多角的に測定するために、町はアンケート調査、利用者数の集計、ワークショップの記録分析などを行っています。
定量的な効果:
- 利用者数の変化: プログラム開始後、特定の期間における路線バスの総利用者数に劇的な増加は見られていませんが、学生の利用率に微増傾向が見られます(〇〇町のデータによると、特に体験学習を取り入れた学校区において、放課後のバス利用者が前年度比約5%増加)。これは、学校での教育活動が直接的な利用行動に繋がり始めている可能性を示唆しています。
- イベント参加者数: 「公共交通ふれあいデー」には毎年200名以上の町民が参加しており、特に親子連れの参加が多い状況です。ワークショップには延べ50名程度が参加し、公共交通に関する具体的な提案が複数提出されました。
- 広報効果: 特設SNSアカウントのフォロワー数は徐々に増加し、特定の投稿(例: バスを使ったまち歩き情報)へのエンゲージメントが高い傾向が見られます。
定性的な効果:
- 住民意識の変化: 学校でのアンケート調査では、プログラム参加後の児童・生徒から「バスが環境に優しいことを初めて知った」「将来、電車やバスを積極的に使いたいと思った」といった回答が多く寄せられています。また、ワークショップ参加者や広報誌読者へのヒアリングからは、「これまではバスの時刻表を見たこともなかったが、関心を持つようになった」「公共交通がなくなるのは困る、自分たちもできることを考える必要があると感じた」といった、公共交通への関心や危機意識、主体的な関与意欲の向上を示す声が確認されています。
- 地域内連携の強化: プログラムを通じて、行政、NPO、学校、事業者、住民といった異なる立場の関係者が公共交通という共通のテーマで対話する機会が増え、相互理解が進みました。これにより、その後の地域課題解決に向けた連携が生まれやすくなったという副次的効果も報告されています。
- 「自分ごと化」の兆し: ワークショップで出された提案の中には、「自宅最寄りのバス停にベンチを設置したい」「地元の祭りに合わせて臨時便を運行してほしい」といった、具体的な利用シーンに即したものが増え、単なる抽象的な議論から、生活に根差した課題解決への意識が高まっている様子が見られます。地域社会学の研究で指摘されているように、このような「声出し」や「提案」のプロセスは、住民が地域課題を「自分ごと」として捉え直す重要な契機となり得ます。
分析と考察:成功要因と課題
本事例における公共交通啓発プログラムは、住民の公共交通に対する「意識変容」という点である程度の効果を上げていると考えられます。その成功要因としては、以下の点が挙げられます。
- 対象層の多様性: 将来の利用者育成に繋がる若年層への働きかけと、現在の利用や地域での議論を担う大人層へのアプローチを組み合わせている点。
- 体験型・参加型の活動: 座学だけでなく、実際の乗車体験やワークショップでの対話を通じて、よりリアルな課題認識と主体的な関与を促している点。
- 多角的な情報発信: 広報誌、ウェブ、SNSなど、多様なチャネルで分かりやすく魅力的な情報を継続的に発信している点。
- 関係主体の協働: 行政のコーディネートのもと、地域の様々な主体が共通認識を持ち、それぞれの役割を果たしながら連携している点。
一方で、本事例から見えてくる課題も存在します。
- 行動変容への繋がり: 意識の向上は確認されていますが、それが直接的な公共交通の利用増加(特に自家用車から公共交通への転換)にどこまで繋がっているか、定量的な検証が難しい点。意識変容から行動変容に至るプロセスには、運賃、利便性、自家用車への依存度など、様々な要因が複合的に影響するため、啓発活動単独での効果測定には限界があります。
- 効果の持続性と範囲: プログラムへの参加者や情報にアクセスしている層に効果が偏る可能性があり、町全体への意識変容を波及させるための継続的な取り組みや新たな手法が必要です。また、単年度ではなく、長期的な視点で取り組みを継続するための体制構築や財源確保も課題となります。
- 「自分ごと化」の深度: 公共交通の維持に危機感を持ち「自分も貢献したい」という意識は芽生えつつありますが、これが具体的な利用習慣の変更や、地域における公共交通に関わる持続的な活動(例: 住民によるバス停清掃、利用促進イベント企画など)にまで発展するかは、今後の重要な観点となります。
結論と今後の展望
〇〇町の事例は、地方における公共交通の維持において、単なる運行支援や利便性向上だけでなく、地域住民の公共交通に対する意識を変革し、「自分ごと化」を促す教育・啓発活動が有効な手段となりうることを示唆しています。特に、次世代への教育と、現世代の住民との対話・参加機会の提供は、公共交通の重要性や地域社会における役割への理解を深め、主体的な関心を育む上で重要です。
しかしながら、意識変容を行動変容に繋げ、持続的な公共交通の利用促進や維持活動に結びつけるためには、啓発活動を運行サービスの改善、MaaS導入、地域内連携強化といった他の取り組みと複合的に実施する必要があります。また、啓発活動自体の効果測定手法、特に意識変容の深度や行動変容への貢献度をより客観的に評価するための研究も今後の課題として重要です。
本事例のように、地域全体で公共交通を「自分ごと」として捉え直し、多様な主体が連携してその維持に関わる機運を高めることは、持続可能な地域公共交通ネットワークを構築するための基盤となり得ると考えられます。今後の研究においては、様々な地域で行われている類似の取り組みを比較分析し、地域特性に応じた最適な啓発・教育プログラムのあり方や、その効果測定手法の確立が求められます。