地域公共交通事業者の多角化戦略がもたらす事業持続性と地域経済効果：特定地域の成功事例分析
はじめに
地方における公共交通を取り巻く環境は、人口減少、少子高齢化に伴う利用者減、それに起因する運賃収入の減少など、極めて厳しい状況が続いています。多くの地方公共交通事業者は、事業継続のために公的補助に依存しているのが現状ですが、補助金だけでは事業の抜本的な持続可能性を確保することは困難です。このような背景から、運賃収入以外の新たな収益源を確保し、事業基盤を強化するための多角化戦略が注目されています。
本稿では、地方公共交通事業者が進める多角化戦略が、いかにして事業の持続可能性を高め、さらに地域経済に対してもたらす効果について、具体的な事例を基に分析します。特に、地域固有のリソースやニーズを活かした多角化事業に焦点を当て、その成功要因、直面した課題、そして他の地域への応用可能性について考察を深めます。
地方公共交通事業を取り巻く構造的課題と多角化の必要性
地方公共交通の衰退は、単なる移動手段の機能不全に留まらず、地域住民の生活の質低下、地域経済の縮小、社会関係資本の希薄化など、地域社会全体の持続可能性に関わる深刻な問題です。主な課題として以下の点が挙げられます。
- 利用者数の減少: 若年層の都市部流出、高齢者の運転継続、マイカー依存の高まりなど。
- 運行コストの上昇: 燃料費、人件費、車両維持費などの恒常的な上昇。
- 収支率の悪化: 運賃収入だけでは運行経費を賄えず、事業単独での自立が困難。
- 運転士不足: 高齢化や労働環境に対する懸念による担い手不足。
これらの課題に対し、従来の運行頻度削減や路線廃止といった対応は、サービスの質を低下させ、さらなる利用者離れを招く悪循環に陥る可能性があります。また、公的補助金は一時的な延命措置にはなり得ますが、事業構造そのものを改善するものではありません。したがって、事業者が主体的に経営改善を図るため、既存の資産やノウハウ、地域との関係性を活かした多角化による新たな収益源の確保が不可欠となっています。多角化は、本業を維持するための資金的な基盤を強化するだけでなく、事業構造を柔軟にし、地域ニーズへの対応能力を高める可能性も秘めています。
多角化戦略の具体的な事例分析
ここでは、特定の地方公共交通事業者が実施している多角化戦略をモデルケースとして取り上げ、その内容とプロセスを詳述します。分析対象とするのは、バス事業者が地域資源（遊休地・施設、地域産品）を活用した多角化戦略を展開している事例です。
事例：地域交通事業者の地域資源活用型多角化戦略
- 事業主体: 〇〇交通株式会社（地方都市を拠点とするバス事業者）
- 背景: 利用者数の減少と燃料費高騰により、バス事業単体での赤字が常態化。従業員のモチベーション低下も課題となっていた。一方で、市街地のバス車庫跡地や主要バス停周辺に複数の遊休地・遊休施設を所有。また、地域には豊かな農産物や伝統工芸品が存在するものの、販路拡大や都市部へのアクセスが課題であった。
- 多角化の取り組み内容:
- 遊休車庫跡地の活用: 市街地の旧車庫跡地を活用し、地域産品直売所と小規模商業施設（テナント誘致）を併設した複合施設を開発。バス停を敷地内に移設し、交通結節点としての機能も強化。
- 地域産品販売事業: 直売所で地域産品の販売を行うほか、オンラインショップを開設し、都市部への販路を拡大。バスの回送便や閑散時間帯を活用した貨客混載による農産物等の輸送サービスも開始。
- 観光・体験ツアー事業: 地域資源（自然、文化施設、農業体験など）を巡るバスツアーを企画・実施。単なる移動だけでなく、地域住民との交流や体験を組み込むことで付加価値を高めた。
- 高齢者向け生活支援サービス: バス運転士の知見や車両を活用し、高齢者向けの買い物代行・送迎サービス、見守りサービスなどを、地域の社会福祉協議会やNPOと連携して展開。
- 実施プロセス:
- 計画段階: 地域住民、自治体、農業組合、商工会議所など多様なステークホルダーとの協議会を設置し、地域ニーズや保有資産の活用可能性について議論。専門家（建築士、流通コンサルタント等）の意見も取り入れ、事業計画を策定。
- 資金調達: 施設開発費の一部は国の地域公共交通活性化再生事業の補助金を活用。残りは金融機関からの融資と自己資金で賄う。多角化事業は段階的に開始し、リスク分散を図る。
- 組織体制: 新規事業部門を設置し、専門知識を持つ人材を外部から採用または育成。既存のバス運行部門との連携（運行データ共有、施設利用者のバス利用促進など）を強化。
- 連携: 自治体とは遊休地の用途変更や許認可で連携。農業組合とは産品供給で連携。観光協会とはツアー企画・宣伝で連携。福祉協議会・NPOとは高齢者向けサービス提供で連携。
多角化戦略の効果測定
上記事例における多角化戦略の効果は、定量的な側面と定性的な側面の双方から評価できます。
- 定量的効果:
- 収益改善: 多角化事業全体で年間〇〇百万円の新規収益を計上。これはバス事業の赤字額の約△△%を補填し、事業全体の収支改善に大きく貢献。特に直売所・商業施設のテナント収入が安定的な収益源となっている。
- 本業への寄与: 複合施設への来場者やツアー参加者の一部がバスを利用するようになり、バス利用者数が実施前と比較して約〇%増加。貨客混載による運行効率向上効果も見られた。
- 地域経済への波及: 複合施設での雇用創出（パート・アルバイト含め〇〇人）、地域産品の売上増加による農家・生産者の所得向上、交流人口増加による地域内消費額の増加などが確認された（推定）。
- 資産活用: 遊休地・遊休施設の有効活用により、固定資産税負担の軽減や新たな資産価値の創造が実現。
- 定性効果:
- 地域住民の利便性向上: 施設内の商業機能や直売所が、地域住民の日常生活における買い物ニーズに応える。高齢者向けサービスは移動困難者の生活を支援。
- 地域コミュニティの活性化: 複合施設が住民の交流拠点となる。ツアー参加者と地域住民との交流機会が創出される。
- 地域イメージ向上: 地域資源を活用した事業展開が、地域の魅力を内外に発信。公共交通事業者が地域の核として機能しているという認識が広まる。
- 従業員のモチベーション: 新しい事業に携わる機会が増え、経営改善への貢献を実感することで、従業員の士気が向上。
分析と考察
上記事例から、地方公共交通事業者の多角化戦略が事業持続性と地域経済に貢献する可能性が示唆されます。成功要因としては以下の点が考えられます。
- 地域ニーズへの適合: 地域住民や産業が必要とするサービス（買い物、販路、移動支援、交流機会）を提供したこと。
- 既存リソースの有効活用: 遊休資産やバス運行で培った地域ネットワーク、移動ノウハウを最大限に活かしたこと。
- 多様な主体との連携: 自治体、地域住民、他産業（農業、観光、福祉）との密接な連携により、単独では困難な事業を実現したこと。
- 段階的な実施とリスク分散: 新規事業のリスクを考慮し、段階的に取り組みを拡大したこと。
- 明確な目的意識: 単なる収益確保だけでなく、「地域になくてはならない存在であり続ける」という意識が、多角化の方向性を定め、関係者の協力を得る上で重要であったこと。
一方で、課題も存在します。新規事業には専門的な知識やノウハウが必要であり、人材育成や外部からの登用が不可欠です。また、本業である公共交通事業の運行品質を維持しつつ、新規事業にリソースを配分するバランス調整も重要です。さらに、地域内での他事業者との競合や、多角化事業に対する地域住民の理解促進も継続的な課題となり得ます。
この事例は、他の地域においても応用可能と考えられます。重要なのは、その地域固有の資源（例：温泉、歴史的建造物、特定の祭り、高齢化率、過疎度合いなど）やニーズを丹念に把握し、それに合わせた多角化戦略をデザインすることです。一律のモデルを導入するのではなく、地域特性に応じたカスタマイズが成功の鍵となります。また、多角化は公共交通事業単独で完結するものではなく、地域全体の活性化戦略の一環として位置づけ、自治体や地域住民、関連産業との協働体制を構築することが不可欠です。学術的には、公共交通事業者が「モビリティ供給者」から「地域サービスプラットフォーム運営者」へと役割を拡大するプロセスとして分析することができ、その社会経済的な影響や地域社会構造への変化といった視点からのさらなる研究が期待されます。
結論と今後の展望
地方公共交通事業者が、本業の維持を目的として推進する多角化戦略は、新たな収益源を確保し、事業の持続可能性を高める有効な手段となり得ます。さらに、地域資源を活用し、地域ニーズに応える形で展開される多角化事業は、雇用創出、地域産品の販路拡大、地域コミュニティの活性化など、地域経済に対しても多角的なプラスの効果をもたらすことが、事例分析から示されました。
今後、地方公共交通事業の維持を図るためには、単なる運行補助に留まらず、このような事業者の経営努力や多角化への取り組みを促進・支援する政策的な枠組みの強化が必要です。また、多角化事業を通じて蓄積される地域に関するデータ（例：直売所の購買データ、ツアー参加者の属性・ニーズ）を、公共交通サービスの最適化や地域振興策に活用するなど、事業間のシナジー効果を最大限に引き出すための継続的な戦略設計が求められます。本稿の事例分析が、地方公共交通の未来を考える上での一助となれば幸いです。今後の研究において、より多様な多角化事例の収集・分析、定量的な効果測定手法の精緻化、そして多角化が地域社会構造にもたらす長期的影響に関する研究が進展することを期待いたします。