地方公共交通サービスの評価指標と住民満足度:特定の地域における調査事例とその分析
はじめに
地方における公共交通網の維持は、地域社会の持続可能性を考える上で極めて重要な課題です。人口減少や高齢化、モータリゼーションの進展は、多くの地方で公共交通の利用者減少と経営悪化を招き、路線の廃止やサービス水準の低下を引き起こしています。このような状況下で公共交通を維持し、利用を促進するためには、供給側の視点だけでなく、利用者のニーズや評価を深く理解することが不可欠です。
本稿では、地方公共交通サービスの質をどのように評価し、それが住民の満足度や利用行動にどのように影響するかという問いに対し、特定の地域における調査事例を通じて分析を行います。サービスの評価指標の設定、調査手法、得られた結果、そしてそれがサービス改善や政策立案にどのように活用されうるのかを詳細に検討し、地方における公共交通維持戦略の一助となる示唆を提供することを目的とします。
背景と課題:なぜサービス評価と住民満足度が重要か
従来の地方公共交通の維持施策は、主に財政支援や運行効率化に焦点が当てられてきました。しかし、これらの施策だけでは利用者の減少傾向に歯止めをかけることは難しく、サービスが住民の実際のニーズに合致していない可能性が指摘されています。サービス水準の低下はさらなる利用者離れを招き、負のスパイラルを生み出す要因となります。
このような状況を打開するためには、住民が公共交通サービスをどのように評価しているのか、何に満足し、何に不満を感じているのかを客観的に把握することが重要です。単に運行頻度や定時性といった基本的な指標だけでなく、乗り降りのしやすさ、車内の快適性、運転士の対応、情報提供の適切さ、地域への貢献といった多角的な視点からの評価が求められます。これらの利用者の声に基づいたサービス改善こそが、利用者の満足度を高め、結果として利用者の増加や定着に繋がり、公共交通の持続可能性に貢献すると考えられます。
しかし、具体的な評価指標の設定や、信頼性の高い住民満足度調査の実施、そしてその結果を実際のサービス改善や交通政策に結びつけるプロセスには様々な課題が存在します。限られた予算や人員の中で、効果的な調査を実施し、得られたデータを分析・活用する仕組みを構築する必要があります。
事例紹介:特定地域におけるサービス評価・住民満足度調査の取り組み
本事例では、過疎化が進むある地方自治体(以下、仮にA市と称する)が実施した公共交通サービス評価および住民満足度調査の取り組みを取り上げます。A市では、基幹バス路線の利用者減少に加え、地域内移動手段の確保が喫緊の課題となっていました。このため、市は現状の公共交通サービスが住民ニーズにどれだけ応えられているかを把握し、今後の地域公共交通計画に反映させることを目的として、本調査を実施しました。
調査設計と評価指標
A市が採用した調査手法は、主に以下の二つです。
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利用者向けアンケート調査: バス、デマンド交通等の現利用者に対して、乗車時および郵送によるアンケートを実施しました。設問項目は、基本的な利用状況(利用頻度、目的、利用区間など)に加え、サービス評価に関する項目を多岐にわたって設定しました。評価項目は、交通事業者との協議や先行研究を参考に、以下の要素を含んでいます。
- アクセス性: バス停までの距離、乗り換えの容易さ
- 運行サービス: 運行頻度、運行時間帯、定時性
- 利便性: 運賃、決済方法、経路情報の分かりやすさ
- 快適性: 車両の清潔さ、混雑度、乗り心地
- 安心・安全: 運転士の運転技術、防犯対策、事故防止策
- 人的サービス: 運転士の接客態度、問い合わせ対応
- 情報提供: 時刻表、遅延情報、運休情報の提供方法
- 地域貢献: 環境への配慮、地域イベントとの連携など
これらの各項目について、「非常に不満」から「非常に満足」までの5段階のリッカート尺度で評価を求めるとともに、自由記述欄を設け、具体的な意見や要望を収集しました。
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非利用者・全住民向けアンケート調査: 公共交通を普段利用しない層を含む市内全住民を対象とした郵送アンケートを実施しました。これは、公共交通を利用しない理由や、利用意向、潜在的なニーズを把握するためです。公共交通の利用経験の有無、自家用車への依存度、生活圏内での移動手段の課題、そして「もしサービスが改善されたら利用したいか」といった質問を含めました。
関係者の連携プロセス
本調査の実施にあたっては、A市役所(企画課、交通担当課)、地域内の主要交通事業者(バス会社、タクシー会社)、地域住民代表(町内会連合会など)、そして調査設計・分析を支援する外部の専門家(大学研究者、コンサルタント)が連携しました。特に、評価項目の設定においては、事業者側の運行実態や制約、住民側の具体的なニーズの双方を反映させるための議論が重ねられました。調査結果の分析段階でも、それぞれの立場からの解釈や、今後のサービス改善に向けた実現可能性についての意見交換が行われました。
調査結果と分析
調査から得られた主な結果は以下の通りです。
定量的分析結果
- 利用者アンケート: 全体的な満足度は平均3.5点(5点満点中)と比較的高かったものの、特定の項目において低い評価が見られました。「運行頻度」(平均2.8点)、「運行時間帯」(平均2.9点)、「乗り換えの容易さ」(平均3.0点)に関する不満が多く、特に早朝・夜間便や、特定の地域間を結ぶ路線の不足が指摘されました。一方で、「運転士の接客態度」(平均4.2点)、「車内の清潔さ」(平均3.8点)は高い評価を得ており、既存サービスの質に対する一定の信頼があることが示されました。
- 非利用者・全住民アンケート: 公共交通を「ほとんど利用しない」と回答した住民は全体の70%に上りました。利用しない理由(複数回答可)としては、「運行本数が少ない・時間が合わない」(55%)、「自宅からバス停までが遠い」(40%)、「自家用車が便利」(65%)が上位を占めました。しかし、「もし自宅近くにバス停ができ、運行頻度が増えれば利用したいか」という設問に対しては、高齢者層を中心に45%が「利用したい」「やや利用したい」と回答しており、潜在的なニーズが存在することが示唆されました。
定性的分析結果(自由記述・ヒアリングより)
自由記述欄や住民代表へのヒアリングからは、定量データでは捉えきれない具体的な声が多数寄せられました。 * 「病院の予約時間に間に合うバスがない」「買い物の帰りに重い荷物を持って長い距離を歩くのがつらい」といった、生活に直結する具体的な移動の課題。 * 「デマンド交通は便利だが、予約が面倒」「スマートフォンの操作が苦手でアプリ予約が難しい」といった新しいサービスへの懸念。 * 「近所の人と一緒にバスに乗って出かけるのが楽しみ」といった、公共交通が持つ地域コミュニティ形成の側面への言及。
分析:結果が示すもの
これらの結果から、A市の公共交通においては、運行頻度や時間帯といった「ネットワーク・サービスレベル」に関する不満が、個別の「運行・車両サービス」よりも大きいことが明らかになりました。これは、たとえ運転士の対応が良く車両が清潔であっても、そもそも移動したい時に利用できない、目的地まで効率的に到達できないといった根本的な課題が、住民の満足度や利用意向を低めていることを示唆しています。
また、非利用者の多くが利便性の問題を挙げつつも、サービス改善によって利用意向を示す層が一定数存在することは、潜在的な需要の掘り起こしが可能であることを示しています。特に高齢者層の潜在ニーズは、地域包括ケアや生活支援の観点からも重要です。
調査手法の観点からは、定量的な評価だけでなく、自由記述やヒアリングによる定性的な情報を組み合わせることで、住民の具体的な生活課題や感情を深く理解できることが確認されました。これは、学術的な手法である混合研究法(Quantitative and Qualitative Mixed Methods Research)の有効性を示す事例と言えます。
サービス改善への反映と効果
A市では、この調査結果を基に、地域公共交通計画の見直しを進めました。具体的には、以下の取り組みが計画・実行されました。
- 運行ダイヤの見直し: 住民ニーズの高かった時間帯(午前中の病院受診時間帯、午後の買い物時間帯など)に合わせた増便やルート調整の検討。
- デマンド交通の予約システムの改善: 電話予約の受付時間延長や、操作が簡単な予約端末の設置検討。
- 交通空白地の解消: バス停から離れた地域を対象とした、新たな小型モビリティ導入や住民ボランティアによる送迎サービス(自家用有償旅客運送の検討を含む)の可能性調査。
- 情報提供の強化: 高齢者にも分かりやすい広報誌や地域の掲示板を活用した時刻表・運行情報提供。
- 運転士との連携強化: 住民からの「運転士への感謝」や「具体的な要望」を共有し、サービス向上へのモチベーション向上に繋げる取り組み。
これらの取り組みは、計画段階であり即座に定量的な利用者の増加に繋がったわけではありませんが、調査結果を具体的な改善策に落とし込むプロセスを通じて、住民や交通事業者との間で問題意識の共有が進み、今後の協働による交通維持に向けた機運が高まるという定性的な効果が見られました。特に、住民側からは「自分たちの声が聞いてもらえた」という満足感が生まれ、今後のサービス改善への期待に繋がっています。
結論と今後の展望
本事例分析から、地方における公共交通維持には、運行効率化や財政支援といった供給側の施策に加え、サービス評価と住民満足度という需要側の視点が不可欠であることが改めて確認されました。特定の地域における調査事例は、運行頻度や時間帯といったサービスレベルの課題が住民の利用意向に大きく影響すること、また、調査を通じて潜在的なニーズを掘り起こし、住民との協働関係を築くことの重要性を示唆しています。
サービス評価においては、定量的な指標と定性的な意見収集を組み合わせた多角的なアプローチが有効であり、得られた結果を具体t的なサービス改善や政策立案に反映させる仕組み作りが重要です。A市の事例のように、関係者間の連携を密にし、調査設計から結果活用までを一体的に進めることが、効果的な公共交通維持戦略に繋がると考えられます。
今後の展望として、サービス評価と住民満足度に関する継続的なモニタリングの必要性が挙げられます。一度の調査だけでなく、サービス改善の効果測定や、変化する住民ニーズへの対応のためには、定期的な調査とフィードバックのサイクルを構築することが望まれます。また、他の地域における多様な評価指標や調査手法の事例を収集・分析し、地域特性に応じた最適なアプローチを体系化していくことも、学術研究の貢献領域として期待されます。
地方公共交通の維持は容易な課題ではありませんが、住民の声に真摯に耳を傾け、サービス評価を通じて課題を明確にし、関係者協働で改善に取り組むプロセスこそが、持続可能な公共交通網を築くための鍵となるでしょう。