地域企業・商業施設との連携による地方公共交通利用促進:特定地域におけるインセンティブ施策の効果分析
導入
地方における公共交通は、人口減少や高齢化の進行、マイカー依存度の高さなどにより、その維持が喫緊の課題となっています。特に、採算性の低下から路線の維持が困難となり、地域住民の移動手段が失われる事態が多く発生しています。こうした状況に対し、従来の公的補助や運行形態の見直しに加え、地域内の多様な主体との連携による新たな利用促進策が模索されています。本記事では、その中でも特に注目されている、地域企業や商業施設との連携を通じた地方公共交通利用促進の取り組みに焦点を当てます。特定の地域における具体的な事例を取り上げ、その導入背景、施策内容、そして得られた効果について、学術的な視点から分析・考察を行います。この分析は、地域社会学、交通政策、地域経済学などの分野における研究活動に資する詳細な事例報告として位置づけられます。
背景と地域課題
本稿で分析対象とする事例は、人口約5万人、基幹産業として製造業と商業が中心の地方都市である〇〇市における取り組みです(具体的な市名は匿名化します)。〇〇市では、中心市街地の衰退と郊外への商業機能分散が進み、公共交通(主に路線バス)の利用者数が長期的に減少傾向にありました。特に、通勤・通学時間帯以外の昼間や休日の利用が低迷し、複数路線の維持が困難な状況に直面していました。一方で、市内の製造業企業では、従業員の通勤手段確保が課題となっており、また中心市街地の商業施設では、顧客のアクセス利便性向上が求められていました。これらの課題に対し、市は公共交通の維持だけでなく、中心市街地の活性化と地域経済の循環促進を同時に実現する施策として、地域企業および商業施設との連携による公共交通利用促進スキームの導入を検討するに至りました。
取り組み内容:地域連携型公共交通利用促進スキームの設計と実施
〇〇市が導入したスキームは、「〇〇市公共交通利用促進連携事業」と称され、以下の主要な要素から構成されています。
- 参加企業・商業施設の募集と連携協定: 市は、市内の主要企業(製造業、サービス業など)および中心市街地の主要商業施設(百貨店、商店街組合、大型店舗など)に対して事業への参加を呼びかけました。事業の趣旨(公共交通維持、従業員・顧客利便性向上、地域経済活性化)を丁寧に説明し、参加表明を得た企業・商業施設との間で連携協定を締結しました。このプロセスでは、特に企業側の費用負担に対する懸念が課題となりましたが、市側が事業全体のコーディネートと初期費用の補助を提示することで合意形成を図りました。
- インセンティブ施策の実施: 参加企業・商業施設は、以下のいずれか、または複数のインセンティブ施策を実施しました。
- 企業向け: 従業員の定期券購入費用の一部または全額補助。自家用車通勤から公共交通への転換を促すためのインセンティブ制度。
- 商業施設向け: バスを利用して来店した顧客に対し、購入金額に応じたバス運賃割引券の提供、または駐車料金の割引拡大(バス利用者向け)。特定のバス路線利用者への優待サービス(ポイント付与、商品割引など)。
- 情報提供と啓発活動: 市、交通事業者、参加企業・商業施設が連携し、従業員や地域住民に対し、新しいスキームの内容や公共交通利用のメリット(環境負荷低減、交通渋滞緩和、経済的負担軽減など)に関する情報提供や啓発活動(チラシ配布、広報誌掲載、ウェブサイトでの周知、企業内説明会など)を実施しました。
- 費用負担と運営体制: 事業全体のコーディネートは市が担当し、交通事業者と連携して運行情報の提供やインセンティブ施策への協力を行いました。インセンティブ施策に係る費用(従業員補助費、割引券発行費など)は、基本的に各参加企業・商業施設が負担しました。市は、事業開始から最初の3年間、参加企業・商業施設への初期費用(案内表示設置、システム改修など)に対する補助金制度を設けました。
このスキームは、公共交通利用を単なる移動手段の選択としてではなく、地域に貢献する行動として位置づけ、企業・商業施設のCSR活動や顧客サービスの一環として組み込むことを目指しました。
効果測定と結果
事業開始から2年が経過した時点での効果測定の結果は以下の通りです。
- 定量的効果:
- 〇〇市交通局が発表した報告書によると、事業開始以降、対象となる主要バス路線における通勤時間帯以外の平日昼間の利用者数が、前年同期と比較して平均で約8%増加しました。特に、商業施設連携の対象となった路線の土日祝日の利用者数は約12%増加しました。
- 参加企業のうち、従業員約500人規模の製造業企業A社では、公共交通(主にバス)を利用して通勤する従業員の割合が、事業開始前の約15%から約22%に増加したという調査結果が出ています。
- 中心市街地の特定商業施設では、バス利用による来店顧客の割合が約5%増加したというデータが示されています(△△商店街組合の調査による)。バス利用者向けの優待サービスが来店動機の一つになっている可能性が示唆されています。
- 収支面への直接的な寄与は限定的ですが、利用者増加に伴う運賃収入の増加は、対象路線の赤字幅縮小に一定の効果を示しました。
- 定性的効果:
- 参加企業からは、従業員の公共交通利用促進が企業のCSR活動として対外的に評価された、従業員の交通費負担軽減に繋がり福利厚生が充実したという肯定的な声が聞かれました。
- 参加商業施設からは、新規顧客の獲得や既存顧客の来店頻度向上に繋がった、中心市街地の活性化に貢献できたという意見が出ました。
- 地域住民からは、バス利用のメリットが分かりやすくなった、中心市街地へのアクセスが便利になったという声がありました。
- 一方で、参加企業の従業員からは、バスの運行頻度や利便性に対するさらなる改善を求める意見や、制度が複雑で利用しにくいという声も一部聞かれました。
分析と考察
〇〇市の取り組みは、地方における公共交通維持において、従来の供給側の努力に加え、需要側の多様な主体を巻き込むことの有効性を示唆しています。この成功要因として、以下の点が挙げられます。
- 明確な目的とメリットの共有: 公共交通維持という大きな目的のもと、参加企業・商業施設にとっては従業員・顧客利便性向上やCSR、市にとっては地域活性化という、それぞれの主体がメリットを享受できる構造を設計し、丁寧に説明・共有したことが、広範な連携体制構築に繋がりました。
- インセンティブ施策の具体性: 従業員への定期券補助や顧客への運賃割引といった、直接的かつ具体的なインセンティブは、人々の行動変容を促す上で効果的であったと考えられます。特に、企業による従業員への補助は、通勤という日常的な行動に直接影響を与え、利用増加への貢献度が大きかったと言えます。
- 市の積極的なコーディネート: 市が事業全体を主導し、関係主体間の調整や初期費用の補助を行うことで、事業開始へのハードルを下げ、円滑な連携を可能にしました。
- 地域特性との適合性: 〇〇市のように製造業企業が多く、従業員の通勤需要が存在する地域や、中心市街地に商業機能が集積しており、顧客の来街促進が課題となっている地域においては、本スキームの応用可能性が高いと考えられます。
一方で、課題も明らかになりました。定量的な効果は認められたものの、公共交通全体の利用者数減少を完全に食い止めるには至っていません。これは、インセンティブ施策の対象外となる住民や、自家用車からの転換が進みにくい層が存在するためと考えられます。また、インセンティブ費用を各主体が負担する構造は、長期的な事業継続において参加主体の経営状況に左右されるリスクを内包しています。今後の展望として、以下の点が重要となります。
- 参加主体の拡大と多様化: より多くの企業・商業施設、さらには学校、病院、自治会などを巻き込み、スキームを拡大していくこと。
- インセンティブ施策の高度化: 利用頻度に応じた割引、特定のサービス利用との連携など、より効果的かつターゲットを絞った施策の開発。
- 持続可能な費用負担モデルの構築: 公的支援の継続性、参加主体の経済的負担軽減策、あるいは地域基金の設立など、多様なファイナンス手法の検討。
- 運行サービスの改善連携: 利用者増加の傾向が見られる路線・時間帯において、運行頻度やルートの見直しなど、需要に応じた供給側の改善を連携して実施すること。
地域社会学の視点からは、本事例は、地域内のアクター(自治体、交通事業者、企業、商業施設、住民)が、共通の地域課題(公共交通維持、地域経済活性化)に対してどのようにネットワークを形成し、集合行動(連携事業の実施)を通じて社会システム(交通システム、地域経済システム)の変容を試みるのかを示す興味深いケーススタディと言えます。特に、企業のCSR活動や商業施設のマーケティング戦略といった個別主体の論理が、公共的な課題解決にいかに接続されうるのかという点に関するさらなる研究が期待されます。
結論
〇〇市の地域企業・商業施設連携による公共交通利用促進スキームは、地方における公共交通の新たな需要創出と維持に向けた有効なアプローチの一つであることを示しました。定量・定性両面での一定の成果が確認され、関係主体の連携と具体的なインセンティブ施策が成功の鍵であることが明らかになりました。しかし、事業の持続可能性や効果のさらなる拡大には、参加主体の拡大、施策の改善、そして持続可能な費用負担モデルの構築が不可欠です。本事例は、地域内の多様な主体が連携し、それぞれのインセンティブを公共交通利用促進という共通目標に結びつけることで、地域課題解決に向けた新たな道が開かれる可能性を示唆しており、今後の地方における公共交通政策や地域社会研究において重要な示唆を与えるものと考えられます。