地域公共交通計画策定におけるデータ駆動型アプローチの導入事例:成果と課題に関する考察
はじめに
地方における公共交通の維持・活性化は喫緊の課題であり、その解決に向けた計画策定は重要な政策プロセスです。近年、この計画策定プロセスにおいて、勘や経験に依存するのではなく、客観的なデータに基づいた「データ駆動型アプローチ」を導入する自治体が増加しています。本稿では、このデータ駆動型アプローチが地域公共交通計画策定にどのように活用されているのか、具体的な事例を通してその成果と課題を考察いたします。想定する読者層である地域社会学を専攻される大学院生の皆様の研究の一助となることを目的としております。
地域公共交通計画策定におけるデータ駆動型アプローチの背景と課題
地方自治体における地域公共交通計画(地域公共交通活性化再生法に基づく法定計画)の策定は、限られた資源の中で最大の効果を発揮するための戦略的意思決定が求められます。しかしながら、従来の計画策定においては、過去の経験則、住民からの要望、他地域での先進事例の模倣などが主な手法となる場合も少なくありませんでした。これにより、必ずしも地域の現状や潜在的なニーズに最適化されていない計画となるリスクが存在しました。
このような課題に対し、多様なデータソース(利用者数データ、運行データ、人口動態、OD(Origin-Destination)データ、GPSデータ、アンケート結果など)を収集・分析し、現状把握、将来予測、施策の効果検証に活用するデータ駆動型アプローチへの期待が高まっています。これにより、より科学的・客観的な根拠に基づいた意思決定が可能となり、計画の実効性や持続可能性を高めることが期待されています。
データ駆動型アプローチの導入事例分析:A市のケース
ここでは、地方中核都市であるA市が策定した最新の地域公共交通計画におけるデータ駆動型アプローチの導入事例を分析します。A市は、少子高齢化による利用者減と自家用車依存の進行という構造的な課題に加え、中心市街地へのアクセス性低下、非効率な路線網といった固有の課題を抱えていました。
A市は計画策定にあたり、以下のデータソースを活用した多角的な分析を実施しました。
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既存公共交通利用データ:
- バス事業者から提供されたICカード乗降データ、定期券購入データ、便ごとの利用者数データ等を収集・分析。これにより、時間帯・曜日別、路線別、区間別の詳細な利用実態(ピーク時間、利用頻度、利用者の属性推定)を把握しました。
- 特定の期間において、全路線の便別収支を算出。
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住民・非住民の移動データ:
- 大規模なパーソントリップ調査(PT調査)を実施し、市民の日常的な移動目的、手段、経路、時間帯に関する網羅的なデータを収集しました。
- スマートフォン位置情報データを活用し、匿名化された集計データに基づき、都市内外からの流入・流出パターンや主要施設へのアクセス動態を分析しました。
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地域構造データ:
- 国勢調査、住民基本台帳データによる詳細な人口分布、年齢構成、就業・通学状況を分析しました。特に、高齢者・障がい者等の交通弱者となりうる層の分布を把握しました。
- 地理情報システム(GIS)を活用し、道路ネットワーク、商業施設、医療機関、教育機関、公共施設等の立地と公共交通ネットワーク、居住地域との関係性を空間的に分析しました。
これらのデータを統合的に分析することで、A市は以下のような客観的な現状認識を深めました。
- 特定の幹線軸への利用集中と、支線・フィーダー路線の極端な利用者減。
- 高齢者の通院・買い物ニーズに対する既存バス路線のミスマッチ。
- 若年層の公共交通離れと、中心市街地へのアクセス手段の多様化ニーズ。
- 特定の時間帯・区間における非効率な運行と、サービス空白地域の存在。
取り組み内容と成果
上記のデータ分析に基づき、A市は以下のような施策を含む地域公共交通計画を策定・実行しました。
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路線網の最適化:
- 利用データとOD分析結果に基づき、利用者の少ない非効率な路線を大胆に再編。幹線と支線の役割を明確化し、幹線は高頻度運行、支線は地域ニーズに合わせたオンデマンド運行や小型バスへの転換を実施しました。
- GIS分析で把握されたサービス空白地域や交通結節点から離れた高齢者居住エリアに対し、新たなデマンド交通ゾーンを設定しました。
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ダイヤ改正とサービス改善:
- 時間帯別利用データに基づき、朝夕ピーク時の増便や、昼間時間帯の地域ニーズに合わせたダイヤ調整を実施。
- 利用者の利用目的(通勤・通学、通院、買い物等)や年齢層を考慮し、特定の曜日・時間帯に特化したルートや、大型商業施設・医療機関へのアクセス向上に重点を置いたルートを実験的に導入しました。
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情報提供の強化:
- リアルタイム運行情報システムの導入に加え、分析データに基づいた各路線の混雑予測情報を提供。
- スマートフォンアプリを活用した経路検索・予約・決済機能(MaaSの一部機能)の実証実験を実施しました。
これらの施策は、データ分析から得られた客観的な知見に基づいて意思決定されたものです。
導入から1年間のデータ分析によると、以下の成果が見られました。
- 利用者数の変化: 再編・改善を行った一部路線では、利用者数の微増または減少率の鈍化が見られました。特に、デマンド交通導入エリアでは、高齢者の外出機会が増加したという定性的な報告が集まりました。全体の利用者数の大幅な増加には至っていませんが、データに基づき資源を集中した幹線軸では効率性が向上しました。
- 収支改善: 非効率な路線の再編や小型車両への転換により、運行経費が削減され、バス事業全体の収支率が改善しました(特定の事業者の報告によると、全体で約5%の収支改善効果)。
- 住民満足度: 住民アンケート調査によると、新しいデマンド交通利用者や情報提供サービス利用者の満足度は高い傾向が見られました。一方で、路線再編により不便になったと感じる層も存在しており、全体の満足度向上には更なる施策が必要であることが示唆されました。
分析と考察
A市の事例から、地域公共交通計画策定におけるデータ駆動型アプローチは、現状の課題を客観的に把握し、根拠に基づいた施策を立案・実行する上で有効な手段であることが示されました。特に、ICカードデータやPT調査、位置情報データといった多様なデータを組み合わせることで、従来の統計データだけでは見えにくかった利用者の「行動」や「潜在ニーズ」を深く理解することが可能となります。
成功要因としては、以下の点が挙げられます。
- 多様なデータソースの統合的活用: 単一のデータに依存せず、複数のデータソースをクロス分析することで、より立体的な地域交通の実態把握が可能となりました。
- 専門家チームとの連携: データ分析には高度な知識・技術が必要であり、大学や専門コンサルタントとの連携が、データの適切な解釈と施策への落とし込みに貢献しました。
- 計画策定への明確な目的意識: 「データに基づき、真に効果のある施策を打ち出す」という明確な方針が、関係者のデータ活用のモチベーションを高めました。
一方で、課題も明らかになりました。
- データ収集・分析能力: データの収集・管理、そして高度な分析を行うためには、専門人材の育成や外部機関との継続的な連携が必要不可欠です。特に中小規模の自治体にとっては大きなハードルとなります。
- データプライバシーと倫理: 位置情報データ等の活用にあたっては、プライバシー保護への十分な配慮と、地域住民への丁寧な説明が求められます。
- データと政治的意思決定の整合性: データ分析で最適と示された施策が、住民感情や既存の利害関係、政治的な判断と必ずしも一致しない場合があります。データに基づいた提案をいかに地域合意に繋げるかというプロセスが重要となります。
- 効果測定の限界: 公共交通の利用者数や収支だけでは測れない、地域経済への波及効果、環境負荷低減効果、地域コミュニティへの影響といった多角的な効果を定量的に評価する手法は、まだ発展途上にあります。
結論と今後の展望
A市の事例は、データ駆動型アプローチが地域公共交通計画策定において、客観的な現状把握と根拠に基づいた施策立案に貢献する可能性を示唆しています。しかし、その導入には、データ活用の技術的な側面だけでなく、組織体制、プライバシー問題、そしてデータ分析結果を地域合意に繋げる社会的なプロセスといった多面的な課題が存在します。
今後の展望として、これらの課題克服に向けた研究や実践が重要となります。例えば、AIや機械学習を活用したより精緻な需要予測・経路最適化、ブロックチェーン技術によるデータ共有基盤の構築、市民参加型プラットフォームを通じたデータ収集とフィードバックの仕組みづくりなどが考えられます。また、交通分野に留まらず、都市計画、福祉、防災といった他分野のデータとの連携を進めることで、地域全体の課題解決に資する統合的なモビリティ戦略の立案が可能となるでしょう。
地域社会学の研究においては、単に交通システムの変化を追うだけでなく、データ駆動型アプローチの導入が地域の意思決定プロセスや住民の移動行動、さらには地域社会の構造自体にどのような影響を与えるのか、質的な側面も含めた分析が求められます。本稿が、皆様の地域公共交通に関する研究テーマ設定の一助となれば幸いです。