公共交通維持への挑戦

文化・歴史資源を核とした観光モビリティ連携による地方公共交通維持戦略:特定地域の事例分析と地域社会への波及効果

Tags: 公共交通維持, 観光連携, 文化資源, 地域社会, モビリティサービス, デマンド交通, 事例分析

はじめに

地方圏における公共交通の持続可能性確保は、人口減少や高齢化の進行に伴う利用者減少、運転士不足、維持コストの増大など、複合的な課題に直面しています。こうした状況下、地域の活性化と公共交通維持を両立させる新たなアプローチとして、その地域固有の資源である文化・歴史資源と観光を結びつけ、多様なモビリティを連携させる戦略が注目されています。

本稿では、独自の文化・歴史資源を豊富に有する地方の特定地域(以下、X市)における、文化・歴史資源を核とした観光モビリティ連携が、どのように地方公共交通の維持に貢献し、地域社会にどのような波及効果をもたらしたのか、その取り組み内容、効果、そしてそこから導かれる示唆について分析します。地域社会学を専攻される読者の皆様にとって、地方公共交通が単なる移動手段に留まらず、地域経済、地域文化、そして地域コミュニティの維持・発展にいかに寄与しうるか、その具体的なケーススタディとしてご活用いただければ幸いです。

X市における背景と課題

X市は、江戸時代からの歴史的街並みが残り、複数の国指定重要文化財や伝統的な祭り、工芸品などが継承されている地域です。一方で、中心市街地から離れた山間部や沿岸部に集落が点在しており、公共交通網は限定的でした。主要な移動手段は自家用車であり、特に高齢者の移動手段確保が喫緊の課題となっていました。

観光面では、歴史的街並みや文化資源への関心は高いものの、最寄りの鉄道駅から各資源への二次交通が不便であることが、観光客の滞在時間短縮や周遊性低下の要因となっていました。また、特定の文化財や祭りの開催時期には観光客が集中し、既存の公共交通だけでは対応しきれない状況も発生していました。地域住民の日常生活の移動ニーズと、季節やイベントに左右される観光客の移動ニーズが乖離しており、双方のニーズに応える公共交通システムの構築は困難を極めていました。

文化・歴史資源を核とした観光モビリティ連携の取り組み

X市では、これらの課題に対応するため、2018年から「文化・歴史資源と連携した観光モビリティ高度化プロジェクト」を開始しました。このプロジェクトは、自治体、地元のバス事業者、観光協会、文化財保存団体、地域住民団体、そして地域のITベンチャー企業が連携して推進されました。

主要な取り組みは以下の通りです。

  1. 地域資源アクセス特化型デマンド交通「ふるさと周遊タクシー」の導入:
    • 歴史的街並みや主要な寺社仏閣、伝統工芸体験施設など、市内に点在する文化・歴史資源を結ぶデマンド交通サービスを導入しました。
    • これは地域のタクシー事業者が主体となり、特定のエリア内で利用できる予約制・乗り合い型のサービスです。
    • 予約システムは地域のITベンチャーが開発し、多言語対応(英語、中国語、韓国語)と、文化資源情報との連携機能を実装しました。
  2. 既存バス路線との連携強化と「文化パスポート」の発行:
    • 市内の主要バス路線の一部で、文化・歴史資源の最寄りのバス停に停車する便を増便しました。
    • 市内の文化施設入場券とこのデマンドタクシー、指定バス路線の割引乗車券をセットにした「文化パスポート」を販売しました。パスポート購入者は、提携する飲食店や土産物店でも割引サービスを受けられるようにし、地域内での消費拡大も促しました。
  3. 地域住民向け優待とボランティアガイド連携:
    • デマンド交通サービスは、観光客だけでなく地域住民も利用可能とし、特に高齢者には割引運賃を設定しました。
    • 文化財保存団体のメンバーや地域の語り部などを対象に、モビリティ同乗ボランティアガイドを育成・配置し、移動中に地域の歴史や文化に関する情報提供を行いました。これは地域住民の社会参加機会の創出にも繋がりました。
  4. データに基づいた運行計画の最適化:
    • デマンド交通の予約データ、文化パスポートの販売・利用データ、既存バス路線の乗降データなどを収集・分析し、利用者の行動パターンやニーズを把握しました。
    • この分析結果に基づき、運行エリア、時間帯、車両配置などを定期的に見直し、サービスの効率化と利便性向上を図りました。

効果測定

この取り組み導入後の効果を定量的・定性的に測定しました。

定量的効果

定性的効果

分析と考察

X市の事例は、文化・歴史資源という特定の地域資源を核としたモビリティ連携が、公共交通維持に貢献しうることを示しています。成功の要因としては、以下の点が挙げられます。

  1. 具体的な地域資源との明確な連携: 単に交通を便利にするだけでなく、「文化・歴史資源を巡る」という明確な目的とモビリティサービスを一体化させた点が、ターゲットである観光客のニーズに合致しました。
  2. 多主体連携による推進体制: 自治体、交通事業者だけでなく、観光協会、文化財保存団体、地域住民団体、ITベンチャーなど、多様なステークホルダーがそれぞれの強みを活かし、共通目標(地域活性化と公共交通維持)に向かって連携したことが重要です。特にITベンチャーとの連携は、予約システムの利便性向上に貢献しました。
  3. データに基づいたサービス改善: 運行データや利用データを収集・分析し、需要に応じた柔軟なサービス調整を行ったことが、効率性と利用満足度の両立に繋がりました。
  4. 地域住民の巻き込み: デマンド交通の住民利用促進やボランティアガイドという形で住民がプロジェクトの担い手となったことが、サービスの円滑な運用や地域全体の活性化に貢献しました。

一方で、課題も存在します。デマンド交通単体での収支改善には限界があり、自治体からの継続的な財政支援は不可欠です。また、特定の季節に観光客が集中するため、需要の平準化や閑散期の利用促進策が今後の課題となります。多様なニーズ(高齢者、障害者、子育て世代など)への対応をさらに強化する必要もあります。

この事例から、他の地域への応用可能性として、それぞれの地域が持つ固有の資源(温泉、自然景観、産業遺産、食文化など)を核としたモビリティ連携モデルを構築することが有効であると考えられます。重要なのは、地域資源とモビリティサービスを単に組み合わせるだけでなく、地域の多様な主体が連携し、データに基づいた改善を続け、地域住民も巻き込むプロセスを設計することです。

学術的な視点からは、この事例は公共交通が地域経済や社会関係資本の形成に果たす役割、また、地域資源とモビリティの連携が地域アイデンティティや文化資本の再構築にどのように寄与しうるか、といった研究テーマを深める上で示唆に富んでいます。今後の研究では、長期的な視点での経済効果評価、社会関係資本や文化資本の変化の定量的・定性的測定手法の開発などが求められます。

結論

X市における文化・歴史資源を核とした観光モビリティ連携の取り組みは、観光客の利便性向上と地域内周遊促進を通じて、間接的に既存公共交通への波及効果をもたらし、地域住民の移動手段確保や社会参加促進にも貢献するなど、公共交通維持と地域社会活性化の双方にプラスの影響を与えうる可能性を示しました。多主体連携、データ活用、住民参加といった要素が成功の鍵であり、他の地方における公共交通維持戦略を検討する上で重要な示唆を提供しています。

この事例は、地方公共交通が、単に交通インフラとしてだけでなく、地域が持つ多様な資源を結びつけ、新たな価値を創造するネットワークの基盤となりうることを示唆しています。今後も、各地域固有の資源を活かした創造的なモビリティ連携戦略が展開されることが期待されます。