AIオンデマンド交通の導入事例:地方における移動課題解決への可能性と課題
はじめに:地方公共交通が直面する課題とテクノロジーの可能性
日本の多くの地方部では、人口減少と高齢化の進行に伴い、公共交通の維持が喫緊の課題となっています。利用者の減少は収益悪化を招き、路線の廃止や便数の削減といったサービスレベルの低下につながります。これはさらに利用者の減少を招くという負の連鎖を生み出し、特に自家用車を持たない高齢者や学生にとって、買い物、通院、社会活動への参加が困難になる「移動の困難」を引き起こしています。
このような状況に対し、従来の路線バスや固定ルートのデマンド交通では対応しきれない地域も増えています。こうした中、近年注目されているのが、人工知能(AI)を活用したオンデマンド交通システムです。AIがリアルタイムの予約状況や交通状況、さらには過去の運行データを分析することで、最も効率的かつ利用者のニーズに即した最適な配車・経路計画を自動で行うことができます。本稿では、このようなAIオンデマンド交通システムを地方部で導入し、移動課題の解決に挑んでいるある自治体の事例を取り上げ、その取り組みの詳細、得られた効果、そして今後の可能性と課題について、学術的な視点から分析します。
事例地域の背景とAIオンデマンド交通導入の経緯
本稿で取り上げるのは、人口約3万人、高齢化率が35%を超えるある中山間地域に位置するA市です。A市では、市街地と周辺の集落を結ぶ路線バス網が整備されていましたが、過疎化による利用者の減少が著しく、複数の路線が赤字経営に陥り、維持が困難な状況でした。特に、集落内や集落と最寄りのバス停を結ぶ「ラストワンマイル」の移動手段がないことが、高齢者の外出を妨げる大きな要因となっていました。
A市は、この移動課題を解決するため、従来の固定ルート型デマンド交通も検討しましたが、非効率な巡回運行や予約管理の手間が課題となることが予測されました。そこで、より柔軟かつ効率的な運行が可能なAIオンデマンド交通システムに着目しました。複数のシステム提供事業者を比較検討した結果、地域の実情に合わせたカスタマイズが可能で、住民が比較的容易に利用できるインターフェースを持つシステムを導入することを決定しました。導入の主な目的は、①公共交通空白・不便地域の解消、②既存公共交通との連携による利便性向上、③運行の効率化とコスト削減、④高齢者の外出支援による地域活性化、の4点でした。
AIオンデマンド交通システムの具体的な取り組み
A市が導入したAIオンデマンド交通システムは、以下の特徴を持っています。
- 予約システム: 利用者は電話またはスマートフォンアプリから乗降場所(仮想バス停または自宅近くの指定場所)と希望時間を指定して予約します。システムはこれらの予約情報をリアルタイムに集約します。
- AIによる配車・経路最適化: 集約された予約情報に基づき、AIがその時点で運行可能な車両の中から最適な車両を選定し、複数人の予約を効率的に組み合わせた最適な乗車順および経路を瞬時に計算します。これにより、個別のデマンドに応じつつ、従来のタクシーよりも低廉な運賃設定が可能になります。
- 柔軟な運行: 固定されたルートやダイヤはなく、予約状況に応じてリアルタイムに運行ルートが決定されます。運行エリア内であれば、指定された乗降場所で乗降できます。
- 車両とドライバー: 主に小型ワゴン車を使用し、市の委託を受けた地元タクシー事業者やNPO法人が運行を担いました。ドライバーにはシステムの操作に関する研修が実施されました。
- 既存交通との連携: 主要なバス停や鉄道駅を乗り換え地点として設定し、基幹的な公共交通へのアクセス向上を図りました。
導入にあたっては、特に高齢者層への周知と利用支援が重要な課題となりました。市は、広報誌や説明会に加え、地域の民生委員やNPOと連携し、利用方法の個別指導や予約代行サービスを提供しました。また、スマートフォンアプリだけでなく、電話予約の窓口を設けることで、デジタルデバイドへの対応も図りました。運行開始後も、住民からのフィードバックを収集し、運行時間や乗降場所の見直し、システムの改善などを継続的に実施しました。
効果測定と得られた結果
AIオンデマンド交通システム導入後、A市では以下のような効果が確認されました。A市が発表した導入後1年間の運行報告書によると、いくつかの定量的な成果が示されています。
- 利用者数の増加: 特に、これまで公共交通の利用が困難だった地域からの利用が増加しました。導入前の年間公共交通利用者数と比較し、システム利用者が約15%増加したことが報告されています。特に75歳以上の高齢者による利用が全体の約6割を占めており、外出機会の創出に貢献しています。
- 運行効率の向上: AIによる最適化により、1回の運行で複数人を輸送する効率が向上しました。報告書では、1運行あたりの平均乗車人数が従来の固定ルートデマンド交通と比較して約30%増加し、車両走行距離あたりの輸送効率が改善されたと分析されています。
- 運行コストの最適化: 需要に応じた柔軟な配車により、車両の稼働率が向上し、無駄な運行が削減されました。これにより、運行補助金への依存度が若干ではありますが低下する可能性が示唆されています。
- 住民満足度の向上: 利用者へのアンケート調査では、「外出が楽になった」「買い物の頻度が増えた」「通院しやすくなった」といった肯定的な意見が多く寄せられました。特に、自宅近くまで迎えに来てくれることへの利便性を評価する声が多数ありました。地域住民の満足度は、導入前に比べて約20ポイント上昇したという調査結果もあります。
- 地域社会への波及効果: 高齢者の外出機会が増えたことにより、地域の商店街や医療機関へのアクセスが改善され、地域経済の活性化にも一定の貢献が見られました。また、住民同士が車両内で交流する機会が増え、コミュニティ内のつながりが強化されるといった定性的な効果も確認されています。
一方で、課題も明らかになりました。特に、ピーク時間帯の予約集中による待ち時間の発生や、一部の地域・住民におけるデジタル予約への抵抗感、そしてシステムの継続的な維持・更新にかかる費用負担などが挙げられています。また、導入当初はドライバーがシステムの操作に習熟するまでに時間を要したケースも見られました。
分析と考察:成功要因、課題、そして応用可能性
A市の事例は、AIオンデマンド交通システムが地方部の移動課題に対し有効な解決策となりうることを示唆しています。成功の要因として、以下の点が挙げられます。
第一に、地域の具体的な課題ニーズに基づいたシステム設計です。単に最新技術を導入するのではなく、公共交通空白地域の解消や高齢者の移動支援という、A市が直面する喫緊の課題に焦点を当てたことが重要です。乗降場所の柔軟性や電話予約の併用といった点も、地域住民の利用実態を踏まえた対応と言えます。
第二に、多様な関係主体の効果的な連携です。自治体、運行事業者(タクシー会社等)、システム提供事業者、そして地域のNPOや住民団体が協力し、計画、導入、運行、そして利用支援に至るまで一体となって取り組んだことが、スムーズな導入と住民への浸透に繋がりました。特に、地域に根差した組織が住民への啓発や利用支援を担った点は、デジタルデバイド対策として効果的であったと考えられます。
第三に、データに基づいた継続的な改善です。運行データや利用者アンケートを収集・分析し、運行時間やエリア、予約システムなどの課題を継続的に見直す姿勢が、システムの利便性向上に不可欠でした。PDCAサイクルを回すことの重要性が改めて示されています。
しかしながら、持続可能な運行に向けた課題も残されています。システムの運用・保守にはコストがかかり、また将来的なシステム更新や機能拡張にも費用が必要です。公的な補助金への依存度をいかに減らし、採算性を確保していくか、あるいは公共サービスとして費用対効果をどのように評価・説明していくかは継続的な検討課題です。また、すべての住民がデジタルサービスにアクセスできるわけではない現状において、アナログな手段(電話予約など)を維持しつつ、サービスの質を均等に保つための工夫も求められます。さらに、既存の路線バスなど他の公共交通機関との適切な役割分担と連携も重要です。AIオンデマンド交通が既存の交通網を侵食し、全体の持続可能性を損なうことがないよう、交通ネットワーク全体として最適化を図る視点が必要です。
A市の事例は、他の地方地域においても応用可能な示唆に富んでいます。特に、過疎化・高齢化が進む中山間地域や沿岸部など、固定ルートの公共交通が維持困難な地域にとって、AIオンデマンド交通は有効な代替手段となり得ます。ただし、導入にあたっては、それぞれの地域の人口密度、地理的条件、住民のニーズ、そして既存交通網との関係性を十分に分析し、システム仕様や運行方法をカスタマイズすることが不可欠です。△△大学の地域交通に関する研究でも指摘されているように、画一的なシステム導入ではなく、地域固有の文脈を理解した上で、最適なソリューションを選択・設計することが成功の鍵となります。
結論と今後の展望
A市のAIオンデマンド交通システム導入事例は、テクノロジーを活用した地方公共交通の維持・活性化の可能性を示す一例です。AIによる効率的な運行は、従来のデマンド交通の課題を克服し、特に交通空白・不便地域の住民の移動手段確保に貢献しています。地域の実情に合わせた設計、関係主体の連携、そして継続的な改善といった要因が、一定の成果をもたらしました。
しかし、システムの維持コスト、デジタルデバイドへの対応、そして既存交通との連携といった課題も明らかになっており、これらの克服が今後の持続可能な運行には不可欠です。今後は、複数の地域で得られたデータを集約・分析し、AIのさらなる高度化や、異なる交通モード間での連携を深めるための技術開発・制度設計が進むことが期待されます。また、公共交通を単なる移動手段としてだけでなく、地域コミュニティの維持・活性化やウェルビーイング向上に資する社会基盤として位置づけ、多角的な視点からその効果を評価・分析していく研究もより一層重要になるでしょう。A市の事例は、これからの地方における公共交通のあり方を考える上で、重要な示唆を提供しています。